ベトナム野菜

Essay

日がまだ屋根にもあたっていない早朝から、ハノイの街角は活気に満ちている。物売りの足音が足ばやに過ぎてゆくと、細く甲高い別の声が追いかけるようにやって来ては、軒下の茶屋でお茶をすすってる僕に、「いかがですか」と同じようにつぎつぎと声をかけてくる。天秤棒を肩に麺やご飯、コーヒーやお茶など、朝食そのものを担いで、注文があれば路地の隅に荷をおろし、麺をゆでたりお茶を入れたりしてくれる。ふと振り返ると僕が座ってお茶を飲んでいるところも店ではなく、カゴを担いできたお茶売りのお姉さんだった。生タマゴ、肉、米、砂糖や塩などの調味料、それにさまざまの野菜が濡れたまま目のまえを過ぎてゆく。

何種類かの葉物をとり混ぜてカゴに乗せている人もいたが、ほとんどの人はネギや空芯菜、キュウリなど、一品だけそれぞれ売り歩いている。肉などはレバはレバだけ、内臓は内臓だけというように細分化されていて、まるで回転寿司のように、スーパーの売場のトレーが路地を流れてゆくようだった。街そのもの、路地そのものが巨大はベルトコンベアになって動いている。事実、商店が立ち並ぶ表通りはオートバイや自転車と同じに一方通行になっていて、物売りは逆行できないことになっている。ただそこにいるだけで日常生活に必要なものは何でも手に入る。回転する寿司を眺めるように、路地を眺めていればいいのだ。

売り子の額にはどの人も汗の粒がキラキラしている。一束の青菜を手にとり値段をきいてみると、わずか5円くらいで、天秤棒がしなるほどの野菜を全部売っても、500円にもならないという。貧しいというより、なんと慎ましい暮らしだろうと思わずにはいられない。一握りの空芯採を握って通りを横切るおばさんの姿を見るにつけ、人の暮らしはその程度でこと足りると、日々の飽食を恥じる思いだ。

紅河(ホン河)にかかる1キロメートルもある長大なロンビエン橋を渡るとき、眼下に広大な中州が広がっていた。見ると点のように数人の人が畑に分け入って作業をしている。トマトの赤みがかすかに見え、野菜と並んで菊やバラの花も栽培されていた。雨期になれば水没してしまう中州でも、わずかな期間を惜しむように作付けし、野菜畑や花畑として利用している。

細くのびる畦道が、まるで何年もかけて踏み固めた村の小道のように見え、川に浮かんでいることさえ忘れてしまう。橋を渡ると、土手の裾からすぐに田んぼがはじまり、目に眩しいほどの緑が見渡すかぎりつづいていた。土手の斜面にさえトウモロコシやカボチャの蔓が伸び、水路には自然に空芯菜が葉を出している。稲も見ているそのまえで実り、すぐにも米になる気さえした。紅河の地下水脈がどこまで広がっているか、地上の田畑の青さを見れば手にとるようにわかる。

(初出:『銀花』)