田園の村、米の国

Essay

風に吹かれてうねる穂波が眼に眩しい。瑞々しい田園の風景は途切れることなく、北部の山裾から二千キロメートルも離れた南部のメコンデルタまでつづいている。南北をつなぐただ一本の鉄道の車窓からは、右側にも左側にもその青々とした稲穂がすぐそこに広がり、その稲穂の一粒一粒が見える気さえする。田植えをしているすぐ横で稲を刈っている人がいる。土を掘り起こして苗床を作っているのか、水牛を操りながら泥だらけの少年が手を休めて、僕がいる列車に手を振っていた。何と豊かなんだろう。年に二度も三度も米が穫れるという。稲穂さえ蒔けば、見ているそばから実るのではないかとさえ思えてしまうような光景だ。

僕ははじめてメコンデルタに行ってみた。バンコクに向かう航空機の窓から何度となく眺めた、水路と水田だけがある風景が思い描いていたそのままだった。入りくんだ水路が河を横切り、何度も枝別れして別の河につながっていた。中国からインドシナ半島を縦断してきたメコン河の黄土色の水が、青い南シナ海を汚すように流れ込み、海になる。水田の青い稲も海に潜り込んでいくようだ。

ベトナムは「米の国」だ。米屋に行かなくても、街角で米が買える。白米、赤米、餅米、季節によっては緑色のコメさえある。街のちょっとした空き地で、農村から来た農婦たちが南京袋に詰めた米を売っていた。5人、10人と集まれば、そこは、にわかのコメの青空市場になる。黄色いコメも黒いコメもある。そのコメをそのまま炊いて食べるのはもちろんのこと、お菓子にも麺にもして食べる。その麺もビーフンのような細いものからきしめんのような幅の広いものまで何種類もある。粉にしてのばし、蒸して干せば春巻きの皮(ライスペーパー)だ。そのライスペーパーで、肉や野菜、魚まで何でもくるんで食べるのだ。コメの食べ方はまだまだあるだろう。こんなにもコメの食べ方を考えた民族もないに違いない。

街を一回りしただけで、ほとんどのコメ料理とでも言えるものが食べられ、焼酎となって飲むこともできる。沖縄の泡盛とまったく同じ味だ。正月や祝い事には餅米がかかせない。ついて餅にしないまでも日本と同じだ。コメあるいはご飯をベトナムではクームと言い、日本ではコメ、KUMUとKOME、どことなく似ていて僕には同じに聞こえる。

(初出:『美しい部屋』2001年4月号)