「歩く眼」・・・walking eyes

Essay

路地に雨水があふれて、小川のようになっていました。
 ひび割れた路面に染み入る間もなく、生ぬるい水は「南海」から「子どじ」の前を過ぎて、花園神社のほうへ向かって流れていました。その夜も、深瀬さんはいつものように「サーヤ」を出て、雨の中を「南海」に向かったに違いありません。流れに逆らいながら、川でも溯るように歩いて行ったのです。1週間ぶりの、深瀬さんには久しぶりのゴールデン街でした。


 1992年の6月20日、そんな雨の夜に深瀬さんは倒れました。雨で濡れた階段で、足を滑らせて転落したのです。馴染みの店の、慣れた階段で2度も落ちて、深瀬さんのために手すりまで付けてもらったのに、また滑ってしまったのが残念でなりません。
 あれから12年が経って、「歩く眼」と「ブクブク」という、とてもユニークで深瀬さんらしい2冊の写真集がヒステリック社から刊行されました。当ギャラリーでは、その出版の記念と深瀬さんの復活を願って、ここに展覧会を開催いたします。
 「歩く眼」は1982年に発表されました。
 深瀬さんは日々の退屈にうんざりしながらも、どこかそれを楽しんでもいるようでした。きょうは中川から墨田川沿いを歩いて来たとか、久しぶりに松原団地に行って見ようかと、わざわざ立ち寄ってくれては、その日の些細な出来事を話してくれたものです。
 自分の影のように、漆黒の暗がりを舞うカラスを撮り続けてきた眼は、白昼の街を歩きたかったのです。歩きながら、その歩調に合わせてついてくる執拗な影が、なお、カラスのもののように感じられて、深瀬さんは逃げるように足を速めたにちがいありません。