「木村伊兵衛 今日的写真の先駆」2014/5/7 朝日新聞

Essay

2万発もの花火が夏の闇を吹き飛ばす隅田川の花火大会。川岸には数十万の群衆が夜空を仰ぎ見ながら、今か今かとその瞬間を心待ちしている。
 そんな光景に接するたびに思い浮かべるのは、木村伊兵衛の「川開き 蔵前」(1953年)という作品だ。夏の夜空に炸裂しては瞬いて消えるつかの間、今日よりもさぞ濃く深かったであろうあのころの闇の中で、花火がくっきりと際立っている。輝く光そのものとそのシルエットである漆黒の闇の輝きがそこにはある。60年前の出来事が幻のようだ。


 21世紀の今となっては、もはや闇など存在しない東京の暗がりで、スマートフォンの小さな目が夏の淡い夜空を見上げ、おびただしい数の青い光を放ちながら写真が撮られている。暗がりで明滅しながら揺れ動く蛍の群れのようなこの光景こそ、写真が大衆のモノになるどころか、もはや写真は誰のものでもなくなった瞬間だ。
 このデジタルの時代に新しい物好きというだけでなく、最先端のメカにもこだわった木村がいたら、ぜひ尋ねてみたいことがある。
 ――木村さん、デジタル一眼レフカメラやスマートフォンを使いますか。また、小学生のころ、はじめて買ったオモチャカメラがあまりによく写って驚いたそうですが、何でも写ってしまうデジカメはどうですか。撮影から戻ると欠かさずライカを磨き、今日の反省と明日のまだ見ぬもう1枚の写真に思いをはせる木村さん、今ではデジタルライカもあります。見た目は最後まで愛用されたM5そのものですが、M5のように愛せますか?
 木村写真の多くに人々の生活やふれあいが写っているが、そのほとんどはカメラ目線がない。撮られた人たちが気づく前に素早くシャッターを切るために違いないが、このカメラに向ける視線の無さが、木村写真を象徴する匿名性であり普遍性の獲得でもある。
 「月島」(54年)と題された写真には、広場いっぱいに大勢の子どもたちが写っている。2、3メートルほどの近くまで少年が歩いて来ているのに、カメラを見るそぶりさえない。この状況でカメラを構えているのだから気づくはずなのに、カメラ自体が存在しないかのようだ。
 同時に、ここには写真が重んじるところの「決定的瞬間」が随所に分散され薄められている。今日的に言えば、多様な写真表現の深化がもたらした結果であり普遍的な写真となっているが、当時としてはあまりにも日常的過ぎて、何のために撮ったのかが問われたことだろう。
 しかし、現代に生きる僕たちにはごく自然なことで、この目的の無さが何より「写真的」であり共感できるのだ。木村が多大な影響を受けたと言うアンリ・カルティエブレッソンは、写真集のタイトルにもなった「決定的瞬間」を重んじたが、木村写真はそれを否定するほどではないが、写真における特権的な瞬間などないのだと言っているように思える。ありふれた日常の出来事を流れに任せて撮る。これは実に今日的な「写真」感覚だ。
 木村は「決定的瞬間」が信じられていた時代に独り、つかみどころがなく捉えがたいこの世界を、小型で高性能なスキャナーでもあるライカでスキャンして回っていたのだ。